2016年12月20日火曜日

しお・こおろ・こおろ


貴船神社遺跡は「県営福良江井岩屋線、道路緑化推進事業」に伴い1995年(平成7年)に全面調査が行われた。

調査の結果、兵庫県下最大規模の石敷炉を伴う製塩遺跡であることが判明。その時期は、古墳時代後期のものが主体であったが、一部「丸底Ⅰ形式」(弥生時代末)のものも確認されている。

また、遺構からは縄文時代・奈良時代の遺物も出土しており、長期にわたり営まれた集落遺跡であることが明らかとなった。

炉跡は確認されたもので、総数22基。その内19基は古墳時代末から奈良時代のもので、これは大阪湾沿岸での塩づくりが衰退する時期にあたる。上層遺構からは竪穴式住居跡が見つかっている。この遺構の出土遺物から、この住居跡の築造時期は7世紀初頭とされる。また、調査区北の上層遺構からは石棺墓が検出されている。出土土師器により7世紀初頭と推定された。






塩焼きは、素焼きの土器で海水を煮詰めて作ったと考えらえている。沸騰して溢れそうになったら、棒の先に石を付けたものに海水をつけたものを差し入れて、沸騰してふきこぼれるのを防いだと考えららえている。その姿は、古事記に出てくる天の浮橋の上から、イザナギ・イザナミ両神が矛を海に付き立てて、「塩こおろこおろ」と言ってかき混ぜて、海を固まらせて淡路島を作ったという物語とよく似ている。




朝なぎに 楫の音聞こゆ 御食みけつ国 野島の海人あまの 舟にしあるらし

山部赤人の歌が記されていた。山部赤人は三十六歌仙のひとり。しかし『続日本紀』などの史書には山部赤人の名前は出てこない。天皇の行幸に随伴し、天皇賛歌する歌をたくさん残しているので、奈良時代の神亀・天平期に聖武天皇につかえた下級役人で、宮廷歌人であったのではないかと考えられている。



0 件のコメント:

コメントを投稿