2016年12月16日金曜日

社日神社とは地神塔様でした




地図の上に示された社日神社。しかし、そこへ至る道がわからない。おそらくあのもっこりしたところあたりということはわかるのだけれど。どうしても気になったので、山の尾根から行ってみることにした。

小川にそった細い一本道を登っていくと、その先は直角に折れて、ビワ畑へと続く、また、まっすぐな坂道に。それを登りきると、その道は山の奥へ続いているだけで、社日神社へ向かう道はない。イノシシよけの電気柵が張られている段々畑のあぜ道から、尾根道へ入る。登りすぎているので、降りていく感じ。





御社はなく、地神塔があるだけでしたが、想像したとおりの地神様でした。


無事、お参りでき。帰り路を探すと、しっかりした山道がありました。しかしこの道、少し下ったところで、無くなってしました。北へ向かう路も、南へ向かう路も、うっそうと茂る草に阻まれて進むことができません。かつては畑が営まれ、その畦道だったのだと思われるのですが、耕作放棄されて、もとの山へ戻ってしまっているようでした。



雀のお宿のような、トトロの話に出てくるような路でした。


寛政2年(1790年)。その頃、阿波の殿様であった蜂須賀治昭公は、神職早雲伯耆の建白を受けて、支配地であった阿波国と淡路国全域に地神塔を建てさせ、春分と秋分に一番近い戌の日(社日)に地神祭を行うようにさせたという。つまり、この日は農作業を休みとし、土に感謝すると共に、農業の労をねぎらったという。阿波の人が移り住んだところには、地神塔の風習が伝えられていて、香川の南部、岡山の瀬戸内海沿岸、明治以降に入植した北海道にある。

地神塔は五角形で、それぞれの面に太陽神=天照大神、葦原中つ国の盟主神=大己貴命、薬学の神=少彦名命、五穀の神様=稲倉魂命、土の神様=埴土媛命の名前が記されている。

社日はいわば、社という漢字が表すように「土を示す」つまり土を祀る日のことで、戌の日は「つちのえ」つまり「土の兄」で陰陽五行では「陽土」を示す。社日は、いわば農産物の実りをもたらす土の神様をパワーアップさせるようなおまじない。土地の神様である産土神を春秋の戌の日=社日に祀る風習は、全国にあるようだ。

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