2016年12月20日火曜日

森を育て、海を育て、人を育てる


第一回の高知オーガニックフェスタのスペシャルゲストは「NPO法人・森は海の恋人」代表の畠山重篤さん

畠山重篤さんは、1943年に中国の上海に生まれる。終戦後、父の実家がある宮城県唐桑町へ移住。宮城県気仙沼水産高等学校卒業後、牡蠣、帆立の養殖に従事する。

昭和39年頃から気仙沼湾の環境が悪化。たびたび赤潮が発生し、湾内は醤油を流したような茶色の海となった。海苔の生産は急激に減り、ホタテは死にウナギも獲れなくなり、牡蠣養殖にも影響が出始める。1個の牡蠣は呼吸のため1日200リットルもの海水を吸っている。この水と一緒に吸い込んだプランクトンがカキの餌となる。プロロセントラルミカンスという赤潮プランクトンを吸った牡蠣の身が赤くなり「血牡蠣」と名付けられた。この赤い牡蠣は全く売り物にならず廃棄処分するしかなかった。牡蠣養殖に従事する漁師は、廃業寸前まで追い込まれた。昭和59年に研究者の誘いを受けてフランスのカキ養殖を視察。養殖地のひとつのロワール川河口の干潟には、ヤドカリやカニ、小魚、シラスウナギがうごめいていた。そしてロワール川上流には広葉樹の大森林が広がっていることを知り、牡蠣の産地は必ず河口で、その牡蠣の餌となる植物プランクトンは、森と川が育てているのではないか。漁民は海だけではなく、川の流域全体までを考えねばならないのではないかという考えに至る。帰国後、漁師仲間にフランスの状況を説明し、気仙沼湾に注ぐ大川の上流に広葉樹の森を造ろうと呼びかけ、賛同した70名で「牡蠣の森を慕う会」を旗揚げ。しかし、森と川と海との関連は感覚的に理解できても、科学的な裏付けはなく、苦しい日々が続いた。

転機となったのは平成元年(1989年)。松永勝彦北海道大学教授が、海藻が枯れる「磯焼け」について語っているのをテレビで見て、即座に電話をし、翌日には函館ヘ行って、教授に会って直に話を聞いた。海の食物連鎖の基である植物プランクトンの生育にはフルボ酸鉄が必要であり、それは森林の腐葉土層に含まれることを知り、これだと思った。後に松永教授は気仙沼を調査し、気仙沼産のカキやホタテの養分のうち90%が川から来ていることを明らかにした。平成元年の9月、唐桑から約20キロの距離にある室根山の山腹で、漁民たちと室根村の村民たちによる植林が始まる。植樹に酸化してくれた歌人の熊谷龍子さんが「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」と歌い、これにより、この運動は「森は海の恋人運動」と名付けられた。(1996年に出版された第3歌集『森は海の恋人』に記載されている。)

植林は毎年6月の第一日曜日に続けられている。大川の上流に植えられた落葉広葉樹は3万本を超え、面積は約10ヘクタールになった。森は海の恋人運動は、全国に広がり、現在15ヶ所以上で行われている。

◆高知県と気仙沼

6月になると、三陸沖に登ってきた鰹を追いかけて高知から漁師の船がやってくる。高知の鰹釣り船は気仙沼を基地としている。鰹の水揚げは日本一多い。土佐の鰹のタタキも気仙沼水揚げのものも多いはず。そういうことで、気仙沼に滞在している高知の漁師さんと恋をして、気仙沼から高知へお嫁に行っている人も多い。

◆自然の復興が人間の復興につながる

東北の大震災による津波は、宮城県の沿岸部を徹底的に破壊してしまった。特に陸地に建てられていた水産業の施設は、ことごとく津波に流され、ほとんど何もなくなってしまった。海の水は真っ黒で、海の生きものは全くいなくなってしまった。ある学者には、毒の水だとさえ言われた。生態系の基盤は植物プランクトン。それがいなくなってしまっては、牡蠣も魚も育たない。とにかく、生態系の基盤がどうなっているのかを知りたくて、プランクトンネットを引いてもらって調査をしてもらった、そうすると震災以前よりも植物プランクトンが増えているということがわかった。地域の復興は生態系の復興からはじまる。植物プランクトンが多いのなら、必ず復興できると確信できた。そこで3人の息子のうち、外へ出ていった2人を「ふるさとの一大事だから」と半ば強引に呼び戻し、ボランティアの方などの助けも借りて、総勢30名が共同体のような塊となって、牡蠣養殖復興プロジェクトを開始した。人間が多いこと、しかも若い者が集まるときの力はすごいもので、どんどん立ち直っていった。

◆牡蠣とトランク

国内各地からの復興のための支援が届く中、フランスのブランドカバンメーカーのルイ・ヴィトンから「森は海の恋人運動」を支援したいという申し入れがあった。板垣退助のトランクはルイ・ヴィトンのもの。板垣退助は欧州政情視察の際にフランス・パリのルイ・ヴィトン社で特注したもので、現存している。2011年に、板垣退助氏の子孫によって高知市立自由民権記念館に寄託されている。木製のフレームに防止加工されたキャンパス生地が張られたもの。

ルイ・ヴィトンという企業は、もともと旅行用トランクが始まりで、キャンバス生地や革張りのトランクの骨組みは木製。ルイ・ヴィトンは、そもそも製材業を営んでいて、自社で森林も所有している。創業者は、仕立て屋が仕立てたドレスを入れる白木の木箱をつくっていた。それが旅行ブームになって、旅行用トランクケースをつくるようになって今の企業に発展した。ヴィトンとはドイツ系のフランス語で「石頭」というような意味で、職人気質というような意味があるという。「森は海の恋人運動」をルイ・ヴィトンは、ひとつの「デザイン」ととらえているとのことだった。

フランス人は牡蠣をよく食べる。その一番の産地はブルターニュ地方なのだが、1971年(昭和46年)に、この地域にフランス国内の生産量のうち97.5%を占めるアンギュラータ牡蠣に寄生虫が蔓延し、5000軒を超える牡蠣生産業者に9000万ドル(約70億円)の損害が出て、フランスの牡蠣は壊滅しそうになった。フランスの牡蠣生産業者は、牡蠣の復活のために、日本の代表的な牡蠣の品種であるマガキの種牡蠣の輸入することを考え、宮城県の北上川河口で生産された種牡蠣が3300トン(約7億5千万円相当)が輸出された。これにフランスの牡蠣養殖は復活するが、これによって現在のフランスの牡蠣の90%は在来種ではなく日本のマガキになっている。

ルイ・ヴィトンが「森は海の恋人運動」を応援するのは、フランスの牡蠣を復活させてくれた宮城への恩返しという意味もある。ルイ・ヴィトンの5代目であるパトリック代表も宮城まで来てくれて植樹をしてくれた。


◆牡蠣と海の鉄分と森の腐葉土

なぜ広島は牡蠣の産地なのか?それは広島市の真ん中を流れる太田川の河口で牡蠣養殖をしていることと大いに関係がある。牡蠣の養殖は大きな河川の河口でないとうまくはいかない。太田川の上流はブナの森で、樹齢100年のブナの木は、1本に付き30万枚の葉を付け、それが秋になると紅葉して落ち葉を散らす。それが腐葉土になって土になる。母岩は鉄分を多く含んだ花崗岩で、その鉄と腐葉土が牡蠣が育つために欠かせない重要な要素となる。

海には鉄分がほとんどない。海に溶け込んだ鉄分は直に酸化されてしまい、植物ブランクトンが利用できないし、海の底に沈んでしまう。ところが腐葉土に含まれているクエン酸やフミン酸などの有機酸が鉄をキレートすると、鉄は酸化されにくくなり、植物プランクトンに吸収されやすくなる。鉄分がないと植物プランクトンは光合成ができず、数も増えない。

植物プランクトンは、硝酸などの無機の窒素を吸収してアミノ酸態などの有機の窒素を合成することができるが、この合成を行う酵素に触媒として鉄がいる。また、合成するためにミトコンドリアの中でブドウ糖を燃料に酸素呼吸を行いエネルギーを取り出すが、これにも鉄がいる。そして、ブドウ糖を合成する葉緑素をつくるためにも鉄がいる。植物プランクトンは鉄がないと生きていけないのである。

三陸沖の海が豊かなのは、世界で8番目の大河川アムール川が、豊かな森の中を流れ。大量の鉄分をキレートして海に流れ出させているから。その鉄分が植物プランクトンを大発生させているから、それを食べる魚がたくさん増える。世界三大漁場とよばれる豊かな海は、シベリアのタイガとよばれる豊かな森と、そこを源とするアムール川によって支えられている。

漁師が山に木を植える。その木は落葉広葉樹で、秋にあると紅葉して落ち葉を落とす。その落ち葉は毎年、毎年、積み重なって腐葉土になっていく。そして、そこに降る雨は、腐葉土から溶け出す有機酸と混じって、山のミネラルとキレート結合して、海まで流れていき、海で植物プランクトンを増やし、牡蠣や魚のエサとなって、豊かな海をつくる。

◆宮沢賢治と赤土と土壌の鉄分

宮沢賢治は農業を教える先生であった。その宮沢賢治が、赤土を田んぼに入れることを進めていた。今でいうところの客土なのだが、赤土の赤は、鉄分の色で、赤土を入れるのは鉄を入れるということだったのではないかと考える。

盆栽が黄色くなってきたら釘をさすという民間療法の方法がある。

蘇鉄は鉄がよみがえると書く。言い伝えによると、織田信長が安土城を築城したときに、全国各地の銘木を集めようということになり、堺市の妙国寺にあったソテツを強引に移植させた。するとそのソテツが「信長に傷つけられたので肥料として鉄くずを与えてくれ」と枕元に現れて懇願したので、鉄を与えるとよみがえった。その事から、鉄で蘇生したので『蘇鉄』という漢字が充てられ、鉄釘が好物と言われるようになったという。

現代の土壌は鉄欠乏になってしまっている。自動車のトヨタの鉄を扱う子会社が2003年から鉄を肥料として売り出している。

日本には3万5千本もの川が海に流れ込んでいる。そして国土の7割が山で、その多くが森林となっている。日本は森が豊かだから、海も豊かで、田畑も実りが豊かになる。アフリカでは、森からの恩恵が少ないので、漁業も、農業も、なかなか困難なものとなっている。

◆森を育て、海を育て、人を育てる

「森は海の恋人」運動は教科書にも採用された。新聞などには「the forest is darling of the sea.」と直尺されていたが、子どもに教えるのに、ほんとうにダーリンやラバーでいいのか、悩んでいたら美智子皇后が考えてくださった。その英訳は 「the forest is longing for the sea,the sea is longing for the forest.」であった。「longing」には「お慕いもうしあげています」という意味があるという。

海と川と森の関係を、未来を担う子どもたちにしっかりと教えていきたいと考え、小学校で体験学習を行っている。海と川と森の関係がしっかり分かっていれば、この国は、ずっと海の幸の豊かな国でいられる。そして農業も栄えていくことだろう。

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