2016年11月5日土曜日

銀河鉄道の夜と輪廻転生

コズミックフロント☆NEXT「銀河鉄道からのメッセージ・宮沢賢治の宇宙論」より

『銀河鉄道の夜』は大正13年(1924年)から10年かけて書かれた。

米地文夫氏(岩手県立大学名誉教授)は、宮沢賢治は当時の最先端の天文知識を元に、『銀河鉄道の夜』を書いたのではないかと語る。『銀河鉄道の夜』の冒頭の「午后の授業」で先生が天の川銀河を説明するときに、立体模型が登場していることに注目している。「先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズを指しました。」とある。

銀河鉄道は白鳥座の停車場から始まる。真夏8月の夕暮れ、天の川は天を縦に流れている。その天のてっぺんで、白鳥が地を見下ろしている。白鳥座の下には鷲座、その下には、さそり座。天の川は地平線の下にも続いていて、南半球では、孔雀座、ケンタウルス座、南十字星へとつながっている。銀河鉄道は北半球の夏の夜空のてっぺんからはじまり、赤道を越えて南半球の夜空のてっぺんまで走っていく。

サソリは、たくさんの虫を襲い食べた。そのサソリがイタチに狙われて、誤って井戸に落ちておぼれた。溺れ死ぬサソリは自分の殺生を悔いて、イタチの命をつなぐためにこの命をくれてやったらよかったと思い。神様に、この次に生まれ変わったら、まことのみんなの幸のために私の体をおつかい下さいといった。サソリは自分の体を真っ赤なうつくしい火になって燃えて夜の闇を照らしている。

ケンタウルスは、ペーリオン山の洞穴に住み、薬草を栽培しながら病人を助けて暮らした人馬神。アポローンから音楽、医学、予言の技を学び。アルテミスから狩猟を学んだという。銀河鉄道に乗っている子どもが「ケンタウル露をふらせ」と叫んだ。ケンタウル祭はクリスマスのモミの木のような木を囲んで、人馬神のケンタウルが踊っている。

岩手県奥州市衣川地区は日本一夜空が美しい町という。

宮沢賢治は、星のことを「三角標」といった。三角標は明治時代以降に地図作製に使われた観測点で、2点の三角標間の距離がわかっている場合。2点から観測したい点までの角度がわかれば、距離が計算できるというもの。

星までの距離は、この三角測量で、測ることができる。地球の公転面の直径は3億キロで、星までの角度を測ればよい。

1838年に白鳥座の61番星までの距離が10光年であることがわかった。また南半球でしか観測できないケンタウルス座のアルファ・ケンタウリが4光年、1915年、すぐ隣のプロキシマ・ケンタウリがさらに地球に近いことがわかった。

国立天文台の郷田直輝教授のジャスミン計画は、1辺が50㎝という小型の人口衛生(ナノジャスミン)を使って、銀河系の中心部の星が密集していてもりあがっているところバルジの形を測量するというもの。

銀河の中心部の形を調べることで、その銀河がどのような生い立ちなのかがわかる。中心部がX状の銀河(ESO5297‐G036)は、一度も衝突していない銀河、ソンブレロ銀河のように、中央が丸くぼんやりした銀河は衝突合体が激しくくりかえされた銀河といえる。

奥州市水沢は「Zの街」というキャンペーンをしている。Zとは、1899年に、緯度観測所の所長木村栄は自転軸がふらついていることを発見した。それを式に表したとき、自転軸のふらつきを表すのがZ項として表現された。

花巻農学校(現在の岩手県立花巻農業高等学校)の教師をしていた宮沢賢治は、たびたび水沢緯度観測所を訪れており、数々の名著の構想を育んたといわれている。童話『風野又三郎』は後に『風の又三郎』となる先駆作品の一つ。その中には、水沢緯度観測所でテニスに興じる木村博士が登場している。旧緯度観測所の本館を保存した奥州宇宙遊学館では、「宮沢賢治と緯度観測所」として、宮沢賢治と、この地方の関わりについて紹介されている。宮沢賢治をモチーフとした「又三郎」がマスコットキャラクターとして使用されている。

南十字星のそばには「石炭袋」とよばれる漆黒の暗闇がある。

ジョパンニの前から、カンパネルラが消える。ジョパンニは元の世界に戻り、カンパネルラが川に落ちて死んだことを知る。

宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』で「石炭袋」といった暗黒星雲は、後の時代に星の死骸から、新しい星が生まれているところであることがわかった。

宮沢賢治の生きた時代には、銀河に穴が開いているというくらいしか考えられていた。宮沢賢治は友人を助けて亡くなったカンパネルラの魂の行き着く先を漆黒の闇である「石炭袋」とした。

宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』の中に「まづもろともに輝く宇宙の微塵となりて、無方の空にちらばろう」との言葉を記し、輪廻転生を強く意識していた。科学的な根拠は知る由もなかっただろうが、「石炭袋」は星の死骸が集まり、新しい星が誕生している場所なので、輪廻転生の場所ということができる。

暗黒星雲の研究がようやく始まるのは1950年代。好感度撮影ができるようになり、ようやく雲のようなものが写真に写った。

1970年代になって、宇宙空間にも分子があることがわかっり、暗黒星雲は星が生まれているところであることが分かった。

暗黒星雲では星が生まれている。1989年、45mの電波望遠鏡で調べたところ、上下にゼットを噴出する円盤が発見され、そこで新しい星が生まれていることがわかった。

理化学研究所(埼玉県和光市)坂井南美博士は、円盤状のガスの内部の研究をしている。環状C3H2分子は全体に分布しているのに対し、一酸化硫黄分子は中央にのみ分布していることがわかった。このことから、円盤は内側と外側の2重になっているのではないかという仮説を発表した。

内側の円盤と外側の円盤の境界では、ガスがぶつかり合うことで温度が上昇し、凍ったチリが溶けだし、蒸発し内側の円盤に取り込まれ、惑星の材料となっている。ここではアミノ酸のような複雑な有機物分子も合成されている可能性がある。

南米チリの5000mの高山で、66台のサブリミ波を捕まえることができる電波望遠鏡で、今までの10倍の解像度になる。この天文台の運営がはじまると、生命の基が、星の誕生のときに、すでにできているということを突き止めることができるかもしれない。


画像はアルマ天文台のHPより引用。正式名称はアタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array) 頭文字をとってアルマ望遠鏡と呼ばれている。アルマは、スペイン語で「魂」や「いとしい人」を意味する。2002年から建設が始まり、2013年3月13日に完成記念式典が行われた。2014年6月に全てのアンテナが到着した。


















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