2016年11月4日金曜日

田村麻呂と観音様

NHKラジオ第1すっぴん! ユカイ裏歴史より、「坂上田村麻呂は、元祖ほほえみ外交」というのを聴いた。

坂上田村麻呂の先祖は壬申の乱で活躍したり、聖武天皇に寵愛されたりした伝統ある武門の家柄。田村麻呂は実践経験はなく、ただ家柄と人柄で大将軍に選ばれた人であった。1万の軍を指揮するのが将軍で、1万の軍を3つ指揮するのが大将軍なのだが、軍隊とは名ばかりの、農民から集められた、数だけ多いにわか軍隊で、本気で戦えるわけではなかった。実際に田村麻呂の前の将軍は蝦夷のリーダーである阿弖流為(アテルイ)に大敗北をしている。

坂上田村麻呂は、蝦夷討伐のために東北へ行って、陣地も作ったが、剣を鍬に換えて、荒れ地を開墾し、田んぼをつくって、お米を作った。何処が誰の土地といったことが明確でなかった時代に、蝦夷の人たちも、農業に、お米に興味をもってくれて、徐々にお米作りをはじめてくれ、朝廷に納税もしてくれるようになったという。

田村麻呂が亡くなった後、時の天皇、嵯峨天皇の勅命により、田村麻呂には甲冑が着せられ、剣と弓を持たされ、立ったままで、平安京の方を向いた状態で埋葬されたという。そして国家に危急があるとき、その塚の中から大きな雷鳴がしたという。

『田邑麻呂伝記』には「大将軍は身の丈5尺8寸(約176cm)、胸の厚さ1尺2寸(36cm)の堂々とした姿である。目は鷹の蒼い眸に似て、鬢は黄金の糸を繋いだように光っている。体は重い時は201斤、軽いときには64斤。行動は機に応じて機敏であった。怒って眼をめぐらせば猛獣も忽ち死ぬほどだが、笑って眉を緩めれば稚児もすぐ懐に入るようであった」という。また、『田村麻呂薨伝』には「赤ら顔で黄金の髭のある容貌で、人には負けない力を持ち、将帥の力量があった」という。

この記述から、坂上田村麻呂は実は黒人だったという伝説ができる。1911年にカナダの人類学者アレクサンダー・フランシス・チェンバレンは『The Contribution of the Negro to Human Civilization』のなかで、歴史上人類の文明化に功績のあった黒人を紹介する際に坂上田村麻呂について短く触れている。これがどうも発端で、この後、何回か黒人だったという伝説が語られることになる。

清水寺は坂上田村麻呂が寄進したお寺。

清水寺縁起によると、宝亀9年(778)に奈良の子島寺の、後に延鎮上人となる賢心は「木津川の北流に清泉を求めて行け」という霊夢を見たので、翌朝、霊夢にしたがい清泉をもとめて登っていくと、音羽山麓にある滝にたどり着いた。そして、そのほとりで草庵をむすび、永年練行をしている行叡居士と出会った。行叡居士は賢心に霊木を授け、千手観音像を奉刻し観音霊地を護持するよう遺命を託すや否や、姿を消してしまった。「行叡居士は観音の化身である」と悟った賢心は以後、固く遺命を守り、千手観音を刻んで草庵と観音霊地の山を守っていた。

2年後、宝亀11年(780)、坂上田村麻呂は、妻である三善高子命婦の安産のため、夏の暑い日に鹿を求め、音羽山に上がった。そしてひと筋の水の流れを見つけ、そのあまりの美しさに、水源を求めて歩みを進めるうちに草庵にたどり着き、賢心と出会う。坂上田村麻呂は賢心に鹿狩りに上山した旨を話すと、観音霊地での殺生を戒められ、観世音菩薩の教えを諭された。深く感銘を受けた坂上田村麻呂は、この賢心が説かれた清滝の霊験、観世音菩薩の功徳を妻に語り聴かせ、共々深く仏法に帰依され。そして後日、自らの邸宅を仏殿に寄進し、十一面千手観世音菩薩を御本尊として安置された。

清水寺縁起によると、「山城国宇治郡七条咋田西里粟栖村の水田、畑、山を与える」とある。

清水寺の南東2㎞にある西野山古墳は1919年に発掘される。8世紀後記~9世紀前期に造られたもの。純金の装飾を施した大刀や金銀の鏡、鉄の鏃などが見つかった。これが田村麻呂のお墓ではないかと考えられている。

能の「田村」は清水寺の観音様の御利益を語る。

前半は、神仏習合思想に基づき、清水寺の脇にある、縁結びの神様である地主権現は観音菩薩の化身であるとし、地主権現の御神木の桜を観音の慈悲の表れであると考え、この清水寺の桜を讃える。

後半は、『法華経』の普門品には、「観音を信じる者を害しようとすれば、観音の力によって、却ってその者に害が跳ね返ってくる」という。坂上田村麻呂が観音菩薩を本尊とする清水寺の創建者であることから、田村麻呂の武勇を観音の霊験として讃える。

前半は月夜に月光に照らしだされた満開の桜が天も花に酔うという光景。
後半は、それが一変し、勇ましい戦いの光景となる。

平城天皇の御代。伊勢鈴鹿の悪魔を鎮めよとの宣旨を受けた田村麻呂は伊勢へおもむき。伊勢では恐ろしい鬼神の声に、山々も震動している。田村麻呂は「鬼神ども、昔の逆賊・千方(ちかた)のように滅ぼしてやろう」と言うと、鬼神たちは鉄の火を降らせ、数千の軍勢となって襲いかかる。するとその時、味方の軍旗の上に光り輝く千手観音が現れ、千の手で智慧の矢を放ったので、鬼神は残らず滅んでしまったのだった。観音を念じれば、どんな危害も跳ね返してしまう。観音が起こした奇跡を見せる。

能は薄暗い幽玄の世界、この世でもあの世でもない世界を舞台の上につくりだし、「田村」であれば田村麻呂の霊を少年の姿として呼び出して、観音様の御利益を幻影で見せるというもの。予習なしで見ても、まずなんなのかわからない。現代人である私は、すでにリアルな映像に慣れ過ぎてしまい。暗闇の中に、想像する力がやや足りない。

天を酔わす月光の桜。千手観音が千本の手で放つ千本の矢。明るくリアルなCD動画で見てみたいと思ってしまう。

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