2016年8月9日火曜日

コウノトリ・ナベヅル徳島フォーラムの報告②

●タイトル:有機稲作技術と冬水田んぼについて
●有機稲作徳島成苗の会:瀧口敏夫さん・小山恒夫さん

1.会の概要説明
「未来を担う子どもたちに安全で安心な環境と食べものを残すために」が会の理念。
2011年(平成23年)2月に設立・現在栽培会員数22名・栽培面積26ha。

2.栽培技術に特徴があるグループ
ポット方式の苗をつくている。直径15ミリ×深さ25ミリ。1ポットあたり3粒くらい播種する。葉の枚数が4枚~5枚になったところで田植えをする。育苗日数40日くらい。苗丈は18㎝くらい。大きな苗で田植えをすることで、ジャンボタニシの食害も少ない。田植えをする前の代かきに工夫がある。代かきを丁寧に行うことで表層にトロトロ層をつくり草が生えにくい状態にする。そして田植えと同時に米ぬかを表層に散布することで草を退治する。みのる産業の田植え機は機械の前に田植えをし、そして田植え機の後ろに米ぬかを散布できるようになっている。米ぬかを散布するとユスリカが増える。ユスリカの成虫を食べにツバメがやってくる。田んぼの中にはミジンコがたくさんわき、豊年エビなども発生する。

3.成果は生きものが教えてくれる。
2013年5月13日・小松島市坂野町の田んぼで、コオイムシが見つかる。
2013年9月5日・小松島市坂野町の田んぼに、コウノトリがやって来た。
6月になると赤トンボがヤゴから羽化するのが見える。
2015年5月・鳴門市大麻の黒田さんの田んぼにやって来たコウノトリの写真。
2015年10月・阿南市那賀川町手島の瀧口さんの田んぼにナベヅルがやって来た写真。
冬水田んぼの取り組みは、グループ全体で403aを実施。

4.私たちのグループのつくるお米は食味がよい。
米・食味鑑定コンクルール・国際大会の都道府県代表・特別優秀賞を受賞している。
2012年は椋下さん・2013年はライバルの小松島市生物多様性農業推進協議会の北野さん・2014年は小山さん・2015年は瀧口さんが受賞。
2015年には中国四国地域環境保全型農業推進コンクール奨励賞受賞
2016年には多面的機能発揮促進事業中国四国農政局長優秀賞受賞
まじめに取り組んできた結果と考えています。
これからも有機栽培のお米作りを通じて自然環境循環型農業を続けていきます。



●タイトル:生産者と消費者の交流事業・有機稲作と地域活性化について
●小松島市生物多様性農業推進協議会として活動をしている上王子特質米生産組合の代表:北野政美さん
●北野さんの田んぼを活用して生きもの観察会などを開催しているNPO法人里山の風景をつくる会の代表:近藤こよ美さん

1.収穫を迎えようとしている黄金色の田んぼに麦わら帽子の人達。これは会のメンバーでお米の生育状況の調査をしているところです。
2.5月の終わりの頃、田植えされてまだ1ヶ月もたっていない田んぼ。生きもの観察会をしている風景。山の名前は前山。右手に勝浦川の土手があり、勝浦川から水を引き入れてお米をつくっている。タケノコ山やミカン山があって、屋敷林があって、田んぼがある。
3.勝浦川の田浦堰の写真。この堰から勝浦川の水を引き入れてお米をつくっている。
4.特別栽培米の栽培圃場カードの写真。上王子特質米組合は平成元年に設立。まだお米の統制が厳しかった時代ではあったが、減農薬のお米をつくって、少しでも高く売ることで、お米の生産者を持続可能なものしようとこころみた。
5.水車の架け替え作業の写真。地域の人で協力して、水車をつくって、水路に掛ける。田んぼと用水路との間に高低差があるので、昔から水車が活躍していた。水車は、かつて63台あったが、今は5台になっている。電気や石油ではなく天然自然のエネルギーで水をくみ上げる。"
6.ホタルの保全活動をしている。写真は源氏ホタルと平家ホタルがいっしょに発生した5月の末のもの。両者には1ヶ月ほどの発生の開きがあるのだだが、この年は両方が飛んだので、珍しいと思い捕まえて写真を撮った。
7.写真は水車の架け替えのときに、用水路の水を止めるので、近所の子どもに呼びかけて、魚とりをしているところ。30人くらいの参加があった。手長エビやヤンマのヤゴなども見つかった。今年は50㎝ほどのナマズが6匹ほどとれた。
8.写真は温湯殺菌処理器。これを導入して、種子消毒をやめて、完全無農薬になった。
9.お米はコープ自然派で「ツルをよぶお米」として販売されている。小松島市からは「いのち育むたんぼ米」として販売されている。
10.「田んぼの生きもの探検隊」というイベントを毎年やさせてもらっている。赤腹イモリがたくさんいる。今年は100人が参加して100匹は捕まえた。子ども達には捕まえた生きものの絵を描いてもらっている。子どものための自然を楽しむイベントではなく、一緒に来ていただいた保護者の方々に、少しでもお米について知ってもらう場として重要だと思っている。
11.徳島県からの依頼で、新嘗祭に献上した。写真は上王子神社の氏子さんたちが、白無垢の作業着で稲を刈り獲る神事をしているところ。
12.冬水田んぼの取り組み。コープ自然派さんで冬水田んぼを設置するためのカンパ金を募ってもらっている。それを資金に、冬水田んぼを続けている。生きものを育む農法を広めるため、冬水田んぼは不可欠。
13.最後の写真は2015年8月に、田浦のすぐ近くの勝浦川にやって来たコウノトリ。


藤永:まずはじめに、鳴門市にはコウノトリ保護のための協議会ができていますが、どのような取り組みをしているのかを紹介してもらいたい。

三宅:官民学と市民団体によって組織されている。
その中で3つの班を立ち上げている。
①マナー班は、コウノトリを怯えさせないように、見学に来る人に注意喚起をするための看板の設置などをやっている。
②エサづくり班は、休耕田を活用した餌場づくりを行っている。
③ブランド班は、持続可能な取り組みにするために、コウノトリが生息しているハス田のレンコンなどの農産物の売り方・PRを研究している。コウノトリブランドができるかどうかを検討中。
コウノトリを放鳥している豊岡と野田では、コウノトリに150m以上近づかないことを条例で定めている。徳島でもこれに準じたらどうかというところで話が進んでいる。

藤永:コウノトリやナベヅルにとっての徳島の魅力って何なのでしょう?

金井:これだけハス田が広いところは全国的に珍しい。良質な水辺は生物が多様で、エサとなるものがたくさん手に入りやすい。

藤永:コウノトリやナベヅル保護のための徳島の課題は何でしょうか?

三宅:一番はエサの問題。ナベヅルにとってのエサは十分に足りていない。
エサが不十分だった場合、それを覚えていて次の年には来なくなってしまう。
いったいナベヅルは、徳島のエサの状況をどのように感じているのか?そこが問題。"

藤永:ナベヅルのエサは二番穂と教わりましたが、二番穂の状況は一体どうなっているのでしょうか?

瀧口:有機栽培でやる場合、窒素が土壌に残らないので、二番穂は出にくい。肥料をたくさんやれば二番穂が出るかもしれないが、それでは食味が落ちてしまう。
小山:窒素が残っているとお米はまずくなるといわれるが、現実には二番穂は出る。

三宅:鳥のために柿の実を全部取らないで、3つくらい残すというようなことをお米でもしてもらえないか?エサが続くかどうかが、ナベヅルの越冬が続くかどうかの条件となっている。

呉地:東北では寒いので、かつてはヒコバエは生えなかった、ところが温暖化で、近年は生えるようになってきた。稲はもともと多年草。条件ができればヒコバエは生えるものと考える。

金井:二番穂は早場米地帯の話。東北など奥手はお米の収穫が遅いので、収穫時の落ち穂がエサとなる。落ち穂は1回くらい耕起したくらいではなくならない。ツルの方にも、食べ方を学習してもらわなくてはいけないし、経験を積ませる必要もある。

会場から:コンバインで収穫したときに生じる切りワラは、台風や秋雨の集中豪雨で流れ出してしまうと、用水路や水門、ポンプ場を詰まらさせてしまうので、行政や農協では、収穫後は、できるだけ早くすきこむようにと指導している。

北野:秋ワラ処理はお米作りに重要な工程。
冬水田んぼにする圃場も、先ずはワラを腐食分解させた後に、10月下旬から11月はじめに湛水を始める。湛水期間は3か月。

瀧口:ワラを残すとガスが湧いて、稲の根を傷めてしまい、収量や品質を損なうことになる。
ワラの腐食分解には気を使う。

会場から:コンバインで収穫するときも、トラクターでワラをすきこむときも、サギなどがたくさん集まってきて、何かを食べている。すきこむことも生物多様性の点では有効なのではないか?

会場から:休耕田の活用を考えることも大事ではないか?

藤永:冬水田んぼのカンパ金を集めていると報告があった。どのような仕組みなのか?

近藤:生協の方に説明してもらった方がよいと思う。

岸:コープ自然派の岸です。2010年から始めています。冬水田んぼをやろうとしたが、冬に水が止められているところがほとんどなので、冬水田んぼをやるには、井戸水をくみ上げるなどしなくてはならなかった。費用もかかるので、お米を食べている方に環境へ直接支払いをやるから、100円カンパをしてほしいと募った。初年度は50万円ほど集まり18haの冬水田んぼができた。ナベヅルやコウノトリが来て、つまり実績が上がって、それからはもっと集まるようになって、現在は年間500万円くらいになっている。活用方法については、今後、話し合いたい。

近藤:生協の中でもナベヅルのことや冬水田んぼや環境支払いのことをきちんと知っている人は少ない。生協は「安全・安心な食べ物を求めて」それをつくる人とつながることで始まったのだけれども、食の安心安全の世界には限界があった。途中で勢いが止まってしまった。2010年のCOP10以降、考えが変わったように思う。自然の大きなつながりの中で私たちは食べている。そして生きているということを学んで、考えが変わった。人と人とのつながりが、もっともっと必要になってきていると感じる。

呉地:カルフォルニアやスペインの地中海側でお米をつくっているのだが、ここでは冬水田んぼが活用されている。株本を刈るのではなく、高刈りをして、その後、ライスローダーで倒すだけにして、すきこまない。それで水を張る。土中にすきこまれていないので嫌気発酵しないで、好機的に発酵するので、メタンなどのガスも出ない。技術はいろいろあるから、温暖な四国に適したものを探すのが良いのではないか?

金井:冬水田んぼはツルの餌場にはならないけれど、取り組みを始めるにあたって、冬水田んぼを進めた。ツルをブランド名にすると、ツルばかりが気になって、自然生態系をまるごと保全するということに目が向かなくなってしまうことがある。ベースとしての自然に立脚しないと人とツルの関係も深まらない。冬水田んぼから始めて頂いたことは良かったのではないかと思う。

金井:目標としてナベヅルの越冬地をつくるとするなら、民間稲作研究所が「冬草田んぼ」を提案している。春先から水を入れて草をすきこんで、雑草の抑草に活用するとういうもの。技術は多様だから、その土地、その土地の気候に合わせたやり方があるはず。いろいろやってみるうちに、意外とうまくいくものが見つかるかもしれない。

三宅:ナベヅルの越冬地は20羽くらいの群れで、分散化していってほしい。いくつも越冬地ができて欲しい。圃場整備していない小さな狭い田んぼにナベヅルはよく降りている。
そういう田んぼを残していく、守っていくことも大事ではないかと思う。農業の多様性ということを思いました。

藤永:「生業〈なりわい)」あってこその保護保全であると思う・今日は、農業という仕事に「誇り」をもって取り組んでいる方々の話が聞けて良かったです。このフォ-ラムで終わりではなく、今後も(コウノトリ・ナベヅルのために)話し合いなど進めていく第一歩を今日、踏みだしたところだと思います。

高井:今日がきっかけとなって、生物多様性が広まり、農業へつながり、市民が関わり、行政が関わり、広がっていく布石となればと思います。





コウノトリ・ナベヅル徳島フォーラムの報告①


●徳島県内の環境団体が集まり、フォーラム実行委員会を発足し、まずはコウノトリやナベヅルの現況を多くの方に知ってもらい。将来的には人間と水鳥が共生できる社会をつくっていくことをめざして、その布石となるような集まりを開催することとなった。

●7月2日(土)の午後に、徳島市ふれあい健康館1階ホールにて開催。
●開催費用を、以前より吉野川汽水域の自然環境保全に関心の高く、支援を続けていただいているパタゴニアより助成していただいた。

●まずはじめに、現地徳島の現状の報告を日本野鳥の会徳島県支部の三宅さんが行てくれました。

徳島県には35年間のナベヅルの飛来記録があり、それを吉野川下流徳島市・吉野川中流阿波市・那賀川・海部川の3つの河川に分けてグラフにして飛来数をわかりやすく報告してくれました。年々、飛来数が増えていること、ここ1、2年は特に多いことがわかります。
古い記録では、1996年徳島市川内町で越冬。2003年に徳島市春日町で越冬している。
ナベヅルは四国に入った後、西へ向かうか、四国の中をぐるぐる飛び回っている
それは落ち鮎漁をする人、狩猟をする人から逃げるため。
またはエサとしての落ち鮎を探したりして飛んでいる。

2015~2016年にかけてはたくさんのナベヅルがやってきた。
海部川に230羽が飛来し、越冬せずに、和歌山から三重へ飛び去った
越冬数は吉野川の善入寺あたりで35羽(3月17日北帰)、
那賀川の中洲で35羽(3月18日北帰)

ナベヅルの越冬地の条件は3つ。その条件に合う場所が徳島県には多い。
①安全な塒(ねぐら)となる大きな河川の中洲がある。狩猟の影響を受けにくい。吉野川は大きく落ち鮎漁の影響も少ない。
②圃場整備されていない小さな田んぼが健在。
③有機水田が増えている。用水路や側溝にも生きものが多い。

コウノトリについてはほとんどすべてが放鳥されたもので、個体識別できる足環がついているので詳細な記録がとられている。
2013年から毎年、数羽がやってきている。内訳は豊岡放鳥16羽・野田放鳥1羽・大陸からやってきたもの1羽。
昨年、鳴門市大麻町の電柱に巣が作られた。豊岡周辺以外では、初めてのことで、ヒナの誕生が待たれるが、まだ親鳥自体が若い鳥なので、今後に期待。
鳴門の大麻というところに巣をつくったのは、そこにエサとなる生きものが多いから、巣の周辺はハス田が広がるレンコンの一大産地で、湿地としての生態系がたくさん残っている地域。外来種ではあるがアメリカザリガニ・ウシガエルなどをコウノトリは好んで食べている。



●メインとなる講演を2つ。

●演題:「コウノトリ・ナベツルの生態と習性について」
●講師:金井裕氏(日本ツル・コウノトリネットワーク代表)

●講演要旨メモ
 1.コウノトリ・ナベヅル・マナズルの紹介
大きさは1mほどもある大型種・生息地はアムール川の南北・越冬のために秋に日本に飛来し、春に帰郷する。江戸時代はお殿様に保護されていた。

2.コウノトリの野生復帰の現状
兵庫県豊岡市・千葉県野田市・石川県越前市で放鳥している。

3.山口県周南市八代のナベヅル保護の実態
デゴイの設置・人の気配を感じさせないように夜明け前の給餌などを実施
平成元年の越冬数65羽、その後減り続け、現在の越冬数20羽ほど

4.鹿児島県出水のナベヅル保護の実態
ナベヅル13000羽・マナズル3000羽・給餌をしている。

5.ナベヅルの出水への集中化の問題
①ナベヅルによる農業被害→1万羽を超えたあたりから出始める。
②伝染病による大量死の可能性→台湾や韓国で野鳥の大量死が起きている。

6.ナベヅルの保全に必要なこと
①開けた見通しの良い場所→広い水田を好む
②餌場→二番穂・落ち穂・水のある用水路や浅い水域
③ねぐら→水深が15~30cmの浅い水域

7.ツルの保全の妨げになるもの
①冬季作物への食害→対策として被害軽減対策をつくり実行する。
②カメラマン・農作業・工事・通行車両→対策として目隠し・マナーの普及教育の充実。
③電線→対策としてマーキングして目立つようにすることで衝突を回避。

8.コウノトリ・ツルの食べ物と採食行動について
①コウノトリ・ツルの共通の食べ物→ドジョウなど魚・貝・イナゴなどの昆虫・カエル・ヘビ・トカゲなどを食べる。
②コウノトリ→肉食なので単独行動。狩りはへたくそで、バタバタしている。
③ツル→家族単位で群れをつくるので、集団で摂取しやすい植物の種子や根を主食とする。フンの調査から、特にイネの種子を多く食べていることが分かっている。

9.水田と周辺環境の多様性の重要性
水辺のエコトーンの重要性。水辺だけでなく、屋敷林やカヤ場なども重要。里山・里地の自然生態系の多様性が

10.ナベヅルの飛来数・越冬数の増加

11.ナベヅル保護への四国の課題



●演題:「田んぼ生物多様性向上10年プロジェクト行動計画について」
●講師:呉地正行氏(ラムネットJ共同代表)

●講演要旨メモ
1.田んぼの生物多様性を守る10年プロジェクトとは
田んぼの湿地としての機能を活かし生物多様性を向上させることを目的としている。

2.冬水田んぼによる湿地環境の復元の事例
具体例として「蕪栗沼と周辺水田」をラムサール登録湿地にできたことの紹介
冬水田んぼが生物多様性にどのように貢献しているのかの調査報告

◆冬水田んぼの3つの効果
①水辺の生きもの→生息環境の復元
②新しい農法の可能性
③農業と自然との共生をめざす取り組み→持続可能性と環境負荷軽減

◆従来の社会:カモと人間の対立→新しい社会:ガンと人間の共生
マイナスを減らしプラスを生み出す取組
①食害補償条例の制定
②ラムサールブランドのお米作りと販売戦略

3.生物多様性を活かした未来の農業のあり方
新しい農法の開発だけではなく、水田の構造改革も必要である。
蕪栗沼の周辺水田の構造改革事業において、「ふゆみずたんぼ米」をつくるのに適した圃場整備を行った事例の紹介。通常なら排水路の深さを深くするところを、冬期湛水しやすいように浅くしたり、護岸をコンクリートではなく、板張りにしたりした。

4.水田にはつなぐ力がある。
里山・里地・湖沼・干潟・河川の生きものを水田は湿地としての機能があるのでつなげることができる。

5.わたしたちの暮らしの中に、「生きもののにぎわい」はなぜ必要か?
命を食べて、命をつないでいるという事実の見直し。
人間はさまざまな生きものと実は深い関係にあることの再認識が必要。

6.アジアでは田んぼの生物多様性は実際に食文化を支えていることの紹介
①魚米の郷とよばれる長川河口の太湖の南東。お米と魚が獲れる豊かな食文化の自然豊かな地域
②カンボジアのカンポントム県で利用されている田んぼの生きもの。(魚類:70種類・爬虫類:8種類・両生類:2種類・甲殻類:6種類・軟体動物:1種類・昆虫類:2種類・水生植物:13種類)
③ラオスの家庭で消費される動物質の食材のうち、3分の2は田んぼで収穫されている。食卓にのぼる魚類の半分・貝類の半分・両生類の半分が田んぼで収穫されたもの。


●200人入る会場はほどんどの席が埋まり、盛況であった。

伊予市上吾川の田んぼの生きもの探検隊


8月6日(土)、愛媛県伊予市上吾川十合あたりで、合鴨を活用した無農薬有機栽培を長くやられている徳田さんの田んぼで、コープ自然派しこく愛媛の呼びかけで集まった多くの親子さんが参加し、どんな生きものがいるのか調査しました。2時間ほどの活動で、51種類の生きものと出会うことができました。


亜細亜糸蜻蛉(アジアイトトンボ)、オレンジ色がきれいなのはメス。


沼蛙(ヌマガエル)、8月上旬はヌマガエルが田んぼを使う時期。今年オタマジャクシからカエルになったばかりの小ガエルがたくさん見つかる。


殿様飛蝗(トノサマバッタ)


水蟷螂(ミズカマキリ)、子どものミズカマキリも見つけました。卵は10日で孵化し、5回脱皮して、40日で成虫になる。寿命は野生では1年くらい。


薄羽黄蜻蛉(ウスバキトンボ)。北を目指して旅をするトンボ。孵化後1ヶ月で成虫になる。卵を産む量も多い。しかし、ヤゴは4℃以下の水温では死んでしまうため。四国に上陸し、そらに北へ行くものは、みんな死んでしまう。


日本金蛇(ニホンカナヘビ)、トカゲですが本名はカナヘビ。おなかの鮮やかな黄色が美しい。


光脚長蜘蛛(ヒカリアシナガクモ)。腹部の波打つような模様からヒカリと判断。

合鴨は20羽ほど放したとのことでしたが、ハヤブサやタカやミミズクに食べられてしまったとのことです。ここでは合鴨は生態系の頂点ではないということを教わり、驚きました。

田んぼの隅には、合鴨が隠れることができるように、網でつくった小屋を設置してある。田んぼを取り囲むネットは、合鴨が逃げ出さないようにという理由にほかに、イタチなどが合鴨を食べにくるので、それを防ぐ意味もあるとのことでした。

姫牙虫(ヒメガムシ)が非常に多い田んぼです。水蟷螂(ミズカマキリ)は成虫と幼齢虫の両方が見つかりました。


●水生昆虫(成虫):6種類
チビゲンゴロウ・姫ガムシ・菱肩広アメンボウ・水カマキリ・イネ水ゾウムシ・水虫

●水生昆虫(幼虫):6種類
ガムシの幼虫・背筋ユスリカの幼虫・水アブの幼虫・カゲロウの幼虫・塩辛トンボのヤゴ・ボウフラ
●トンボの仲間:6種類
大陸アカネ・塩辛トンボ・麦ワラトンボ(塩辛トンボのメス)・銀ヤンマ・青紋糸トンボ・アジア糸トンボ

●陸生昆虫(バッタの仲間):5種類
小翅イナゴ・精霊バッタ・殿様バッタ・草キリ・小カマキリ
●陸生昆虫(蝶・蛾の仲間):3種類
イネ青虫(フタオビコヤガ)・キンウワバの仲間の幼虫・ジシミ蝶の幼虫

●その他陸生昆虫:4種類
首細葉虫の仲間・白ウンカ・軍配ウンカ・青翅蟻型ハネカクシ

●クモの仲間:9種類
白金小金クモ・中型白金クモ・四国脚長クモ・光脚長クモ・大姫クモ・チビ赤皿クモ・・中村鬼クモの幼体・コガネグモの卵塊・四国脚長クモの卵塊

●両生類:3種類
雨蛙・ヌマガエル・ヌマガエルのオタマジャクシ

●爬虫類:1種類
日本カナヘビ(トカゲ)

●鳥類:1種類
ツバメ

●貝の仲間:5種類
平巻水マイマイ・物洗い貝・カワニナ・スクミ林檎貝・薄皮マイマイ

●環形生物:2種類
血吸いヒル・糸ミミズ

以上

2016年8月7日日曜日

伊豫岡の杜






称名寺からの遠景。伊予灘を背景に田園の中にこんもりとした岡がある。




岡の上には伊豫岡八幡宮がある。

清和天皇の貞観元年(859年)。9歳で即位したばかりの清和天皇は、平安京の守護神として宇佐八幡宮の八幡神を平安京のある山城国の地に迎えようとした。その奉安の途中、伊予灘を航海中、伊豫岡の辺りが明るくなったのが沖から見えた。これは、神のお告げがあるとして、神の分身を祀るため社殿を建てたのが始まり。山城の国に運ばれた宇佐八幡宮の八幡神は元石清水といわれる山崎の離宮八幡宮へ安置され、後に石清水八幡宮となる。

石清水八幡宮の縁起によると南都大安寺の僧行教が「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との八幡神の神託を受けたことを清和天皇に報告し、奉安事業が開始されたという。行教が帰途の淀川の当時の物流拠点である山崎の津で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後に天皇に奏上したとこで、石清水八幡宮ができることになる。元石清水の離宮八幡の離宮とは、この地にもともと嵯峨天皇の河陽(かや)離宮があったことに由来する。

伊豫岡八幡宮の祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后で大洲藩主加藤家の祈願所として敬われていた。拝殿は元禄7年(1694年)・楼門は嘉永2年(1849年)に建てられたもの。


伊豫岡の頂には、古墳が10個。一番大きなものは前方後円墳といわれていて、月陵の名がついている。月の満ち欠けと潮の満ち引きが関係することから、海洋民には月の信仰があるといわれている。海に近い岡の上に、海を見渡す祭祀場。そして八幡神社の由来が、航海を光で照らしたというのだから、この古墳をつくった民は、海とかかわりの深い民であったと想像する。発掘はされたことがないという。一番大きな8号墳は全長20mで高さが3mほど。浸食を受けてなだらかになってしまっているという。


本殿の裏の3号墳は本殿造営のために削られて半分に、石室らしきものが見えている。



9号墳の上の高良社。裏から見た様子。


9号墳の上の高良社を下から見上げる。


本殿の左側奥、4号墳のあるところ。


上之川神社は、明治になって郷社を合社してつくられたものらしい。


上之川神社の裏、7号墳なのだろうか?


上之川神社の右側。


本殿の右側に、えびす様・金毘羅様・多賀神社・松尾神社・和霊神社・鹿島神社の祠。




楼門のある登り口とは反対側の登り口の鳥居さん。


岡の北側には車で近づける道はない。




池の名前は八幡池という。

伊予郷には式内社の名神大の伊豫豆比古を祀る伊予神社がある。イヨヅヒコは『古事記』には登場しない神様だが、『ホツマツタエ』の中では、イヨを治める者として登場する。

『ホツマツタエ』によるとイヨヅヒコはサクナギの子。イサナキのいとこ。ツキヨミの妻であるイヨツ姫の父。 イザナギ・イザナミの二尊の頃のソアサ(四国のこと)またはイヨ の国守。 二尊は筑紫の後にソアサ(四国のこと)を巡り、アワ歌を教えて民の言葉を直してゆく。イヨの国を治めるイヨツヒコは、アワ歌の効果に感動して、自分にアワツヒコという別名を付け、さらにイヨの国にも、アワ(阿波)という別名を付ける。以後、四国のことを「伊予阿波二名島」とも呼ぶようになったという。アワ歌は「いろは歌」のように45音を一文字づつ使った、五七調の歌。アからはじまりワで終わるのでアワ歌という。

ホツマツタエは江戸時代に古事記をベースに書かれた物語で、歴史ではないといわれているが、伊豫岡に月陵と呼ばれる古墳があるとなると、ツクヨミの妻イヨツ姫の父であるイヨツヒコ。そしてツキヨミとイヨツ姫の子どもイフキヌシと、マテラスの子どもタナコの間に生まれた子どもであるイヨツヒコのことが気になってしまう。

古代、伊予の伊豫豆比古が、このあたり一帯を治めていたのだろう。そして伊豫岡の古墳は伊豫豆比古と関係があるのかもしれない。